平凡な見方だけど

飼っていた小鳥が深夜に亡くなる日の昼、いつもと違う本当に寂しいたたずまいを見せた。

深夜、小鳥の餌を食べに入ったネズミに驚きショック死したのか、無傷で命を落としていた。

動物は自分が死ぬときを察知すると感じた小学校時代の出来事。

 

人類も本能的なもので危険予知や、逃げられないが迫る自分の運命を静かに受け入れた時代があったと思う。

私自身は、急に恐怖感を感じて顔の皮膚に鳥肌が立ち、思わず足も止まったその数秒後の出来事から命拾いをしたことがある。

あのとき、それを感じなかったら今はもういなかった。

 

はるか昔、人類は、こんな私より何倍も上手に能力を扱っていただろう。

火を使えるようになるまで、牙も力も無くて動物より遅い足だけど、それなりの身長で目立つ人類が生き延びるにはそんな能力が必要だったはずだ。

 

今、意図しないときは事故という形で、意図したときは兵器という形で、一つ間違えば滅亡できるだけの手段まで持てるようになった。

かわりに、身の危険とかを察知する能力はどこかへ行った。

退化の代わりに手にしたものは、欲望か。

欲望の成果は、使い道を誤ると死に直結するものがほとんど。 個人が何かの欲望で手を下す殺人事件も日常的になった。

 

こんな方向に人類が舵を切り始めたのはいつ頃からだろう。

幾つかの人類を絶滅させたかもしれない今の人類の精神と、社会の仕組み。

人類滅亡への途中と思うと、すごい流れの中にいる。

 

笑いが消え、あるものは呆然自失し徘徊し始め、あるものは絶望の叫びのなか、一瞬にして蒸発するようにして滅びるのだろう。

ムンクの「叫び」の絵。

 

スローモーションのように見えた、人類という種の超新星爆発のような絶滅のセレモニー。

赤い空がうねりながら迫り、もうあと1秒もせずに総てが。。。